某所にある純喫茶。
80歳のご夫婦が営んでいる。
ランチも手作りで全てが美味しい。
ただ、問題がある。マスターが全てこだわりすぎて、こじらせている感がある。
お客様も、コアなファンしか来ない。一見さんは少ないと思う。
マスターと一緒にお客様も年をとっている状況。お客様が来なくなるのは、
免許返納かご病気か・・・か。仕方なし。
お客様も知識人が多い印象である。先生、学者、会計士、法律家、画家、
肩にカーディガンかけた会話の中に体言止めがね、と出てきそうな知的コンサヴァご婦人、様々。
私は、仕事終わりにふらりと寄り、いつもの一番右側のカウンターに座って珈琲をいただく。
カップ&ソーサーも、ヘランド(5万円くらい)、マイセン(?万円)、なぞ(?万円)、
などあげればきりがないが高級なカップ&ソーサーを創業から何十年も大切につかっている。
先日も喫茶店に伺うと、マスターと歴史学者の先生が会話をしていた。
「店、数日休みになるよ。私用でね。しばらく休みって店先に看板を出しておくからね」
「年嵩のマスターが長く店を休むと死んだと思われちゃうよ」 「そうだよね~」
私は、この会話を横できいていて口にふくんだ珈琲を吹き出しそうになった。
こんな感じの会話が時折きけるこの純喫茶とマスターが永遠であれ、と思わずにはいられない。
月に一度は、勉強会も催しており、お客様が先生となって歴史、純文学作家の生涯、災害考古学など
様々なことを学ばせてくれる。
昔のイギリスのコーヒーハウスってこんな感じだったのかな。