私が中学生の頃、父は、家を新築した。鉄筋コンクリート。ベランダではテニスの壁打ち
ができるほど広かった。庭には、25mほどの田んぼをつぶした池があり錦鯉が泳いでいた。
おそらく幸せな生活をしている風に見えたであろう。しかし、家の中は常にごたついていた。
ダイニングには、木製の背もたれの素敵な椅子が6脚あった。
ある日、夜、父が出かけようとすると母がぶち切れ、父の足元めがけ大理石の玄関の床に
その素敵な木製の椅子を叩きつけた。
華奢なつくりの木製の椅子の足は真ん中からボキリと折れた。
6脚の椅子は、半年もしないうちにすべて脚が折れ、いつの日か無機質な味気ない金属の
丸いパイプ椅子に変わった。
父は、決して軽い人間ではなかった。むしろ真面目で仕事人間であった。
おそらく母が苦手で一緒にいると息ができなかったのであろう。
よくないことだが安らぎを外にもとめた…。
ハンサムは、公共財と似ている。公園のようにフリーライダーが現れる。
フリーライダー出現回数分パイプ椅子の脚が折れて交換になった。
倉庫にはパイプ椅子が積み重なってスタックされていた記憶がある。
今も丸いパイプ椅子を見るとゾワっとする。
この先の人生で、自分が結婚するという選択肢がもしあるのならば、相手は、父と対極にある
ハンサムではない、背も高くないぽちゃっとした人にしようと強く思った。
脚が曲がったパイプ椅子が家の外に積み重ねられ冬の冷たい雨にあたっている映像が
今も脳裏に焼き付いている。