私の母は、毎朝3時に起床すると風呂場で頭から水をかぶり神社に参拝に行っていた。
お百度参りではない、日に1回参り。
感謝の参拝である。真冬に水を頭からかぶり、朝三時の神社、に行くという
行為は、並大抵のメンタルではできなことである。きっと、母なりに悩みがあったのであろうと思う。
その神社は、ご神体の山の麓にあり、山を登るまっすぐの道の行き止まりにある。車で登っていくと
ちょうど鳥居が見えると200mくらい先に苔むした階段の先にある荘厳な社殿をライトで照ら
すことになる。
母は、誰もいない鬱蒼とした御神木に囲まれた苔むした階段を登っていく。
相当怖かったそうだ。夏になると肝試しで訪れる方もおり、社殿で感謝の
祈りをささげていると、車のライトが母の背を照らすのがわかったそうだ。見られたくない母は、
サッと横に動きライトからフェードアウトした、すると、車の動きが止まり、
ライトをハイビームにしたり、ロービームにしたりして、人影に気持ち悪がっているのが、
ライトの動きから察しがついたと言っていた。双方がきっと怖い。
一度だけ、そこの神社で不思議な体験をした。中部地方にある有名な神宮のお札を
古札入れに返し社殿でお礼の祈りをささげていたら、後ろから砂利の音がしたので、
人が誰か来たと思い祈りながら、真ん中で祈っていたので、悪いのではじによけた。
しかし、社殿の階段を上ってこないので後ろを振り返ると、誰もいなかった。
というか、そこの神社は、社殿のまわりは砂利はひいていない。
母は、きっとお札がお役目終えて故郷の玉砂利だらけの神宮に帰ったのだと理解したらしい。
それは全く怖くなかったそうである。