夜は、自宅から極力でない。魑魅魍魎が跋扈する時間は、
自宅で過ごすことにしている。太陽が上がってくると動く時間になる。
田舎育ち閉鎖的コミュニティで生まれ育った習慣は、骨の髄までしみている。
妖怪が本当にいると信じていた幼少期のころ、水木しげる先生のご著書は、恐怖の本であった。
とくに小豆とぎは、関東の妖怪と紹介されていたように思う。同居していた父方のじいさんは、
水木先生の描く、小豆とぎとよく似ていた。じいさんが怖くてしかたなかった。
近所の川で夜な夜な小豆でも研いでいるんじゃないかって本気で思っていた。
優しいじいさんであったが、目がギョロッとしていて、サイド残しのハゲあがり、
腰がまがっていて、そのくせ歩くのが早くて、やたら長生きで、死ぬことを放棄した感じで、
言うこともしっかりしていて、妖怪的な畏怖感があった。
そんな死ぬことを放棄していたじいさんも、頭は元気であったが体は、老衰には抗えなかった。
じいさんは、死ぬ間際に、床に臥せった状態で缶コーヒーが飲みたいと言った。
母は、近所の店でポッカの甘いⅯ珈琲缶を買ってくると、ガラスの吸い口で飲ませた。
じいさんは、甘い珈琲を一気に飲み干すと幸せそうな表情をした。
舅と嫁の確執はそれはそれは、激しいものであった。最期は、
この缶コーヒーですべてチャラだ。
じいさんは死ぬ間際に家族に見守られて「みんな幸せになるから大丈夫」と妖怪小豆研ぎ
らしく、平和な呪いを残して強い光の世界へ旅立った。
人は、死ぬ間際未来が見通せるというのは、よくきく。
最期の言葉は、聞き漏らしてはならない。
ポッカⅯ珈琲缶のあの男性をみるとじいさんの幸せそうな顔を思い出す。
あの缶コーヒーは、幸せな家族の記号でもある。