だれの所有でもない猫が夜に巡回している。
雄猫で、8才くらいかな。威風堂々筋肉隆々の成猫だ。
顔が横に大きい鼻もやや大きい白がとても美しい茶トラ。この自由な雄猫の茶トラが愛しくて仕方ない。
名前は、勝手に椎名林檎の名づけを真似てバタイユってつけてる。三島由紀夫は
バタイユのことを「エロティシズムのニーチェ」と呼んでいたそうだが、確かに
バタイユの小説は相当エロい。指の間からうわっって言いながら読む感じ。
この無所属の猫のバタイユを我が愛猫にしたいと何度思ったことか。
それはバタイユにとって幸せなのか?
愛情なのか、依存なのか悩ましい。ひとりで自由に生きている人(猫)を独占したいという欲望は、
愛情ではない。その人(猫)が生きたいように生きることを、傍でそっと見守るのが愛情なんでしょう
ね。だから、たまに逢えるとその時間が幸せで、でも、すぐどこかに消えてしまう。わずかな逢瀬に
自分の愛情を注ぐ。だけど、気づかれてはいけない。悟られてはいけない。だって、バタイユだって
重いでしょう。自由に生きたいのだから。バタイユの体が満身創痍ならば、癒してあげたい、温めて
あげたい。それも気づかれずに。
昨日も夜、バタイユがわずかだが現れた。逢えただけでも幸せ、頭の先から足まで撫でられて幸せ。
傷だらけの体をもっと癒してあげたい。
椎名林檎の「ちりぬるを」は愛猫ユングに対する恋唄であるとファン間でいわれている。