あ~疲れた。
小説を書く先生方は、偉大だ。子供がいなくても子供がいる親の気持ちになって物語を紡ぐ、
そして、その子供を想う情緒に何度泣いたことか。不倫をしたことない人が不倫を書く、想像を絶する
世界だ。不倫といえば、ずっと独身の彼女がいた父。父の交際相手の家に現場に母が乗り込む際には、帯同していた、小学生の私。メンがヘラわないわけがない。その現場の生々しい様子や自宅から漏れてくるオレンジの光、いつか物語の昇華したいとは思う。母は母で女だった。父は父で男だった。それだけだ。母と父はいないともいう。
歴史系youtube 大人の教養の荒井氏は、お母さんの死後遺品整理中に20年不倫していたことが発覚しましたっていう動画をアップしていた。こんな優秀な息子がいるのだから、お母さまは、きっと良妻賢母なのであろう、と思っていた。貞操観念は当たり前であり、食事もきちんとつくるし、塾やお稽古事など、iq、eqを刺激する教育をしていたのであろうと思っていた。しかし、荒井氏が6歳の頃から不倫をし続けていた。それも家族は死んでから気づくという。ほぼ、完全犯罪に近い。母としては完璧な人であったらしい。お母さまが肌身離さず持ち続けていたポーチのなかに証拠があっただけで、そのポーチを処分してしまえば、完全犯罪になった。しかし、ポーチは最後まで持ち続けていた。この心理が不思議。証拠を残す心理もわからない。相手との旅行で画像を撮るのも理解ができない。お父さんは、お母さんの20年の不倫に気づいていなかった。
絲山秋子先生の『沖で待つ』を思い出す。だれか、生きた証を消去してくれる人はいなかったものかと思う。
荒井氏は、「お母さんが見たことないような笑顔で写真に写っていた」という言葉が重かった。誰しも、家族にも友人にもみせたことない仮面がある。その角度の人にしか見せない笑顔や素の瞬間。それは、記録に残してはいけない。きっと誰かをいつか傷つけるかもしれないから。