うちの相方は、ロジハラがひどい。それはわかっている。
よくいく喫茶のマスターもロジハラで、奥さんが、70才にして
「私、あなたのこと大嫌いだった、ってこの間言ったらすっきりした」って言っていた。
そりゃ4人お子さんいて、育つまで我慢して「嫌いだった」だったってことは、過去形で
今は、好きでもないけど、我慢しなくていいから、言いたい放題言っているから楽になったってこと
なんだろうね。一緒にいる年月が、情となり、諦めにもなり、日々を紡いでいく。そして、相方が、タヒしてから、守られていたし、幸せだったんだって気づくのだろうね。なんでもっと優しくしなかったのかな、あんなに焼きナスが好きだって言ったのに、聞こえないふりしてた。だって、面倒くさいじゃない、焼きナスって。焼きナスって、メインのおかずにならないし、映えもしないし、なんで、焼きナスをつくらなあかんねん。自分が好きじゃないから作らないんだよ。あああでも、作ってあげればよかったな、って思うんだろうね。そして、相方が残してくれたお金の額をみて、棺桶に眠る相方の顔まわりに割引クーポンを入れるか、カサブランカを入れるか決めようと思うよ。
こんな私だが、幸せな記憶もある。数年前に家族で行った秋の中禅寺湖畔のフレンチレストランで2000円のコース料理をいただいた。3人で、シェアして、最後タルトタタンと珈琲飲んで、
目の前には、ガラス越に湖畔の水面がキラキラ揺らめいていて、一瞬「ああ、キレイだな、これが幸せなんだ」って思ったことがある。この記憶だけで、私は、生きていけると思った。
でも、金の切れ目は縁の切れ目