『ヒトはなぜ恋に落ちるのか』ロビン・ダンバー著 吉嶺英美訳 この本を読み始めている。恋に落ちる、っていう表現からして、恋なんて情緒の瑕疵なんだ。無駄な感情でしかない。自分の人生を侵食する無駄な感情。恋って顔面でするもの。結婚は金とするもの。明確なラインがある。
独身時代の記憶に残る顔面だった3歳年下の君は、超絶回避型ぽい人であった。その当時の私は、愛着のことなんて知らなかった。「なんだこの生き物は・・・・」って向こうから発信で動き出した間柄であったが、未知の生物と遭遇したかのような生態であった。「いつ会う?」ってきくと「会わない」っていうんだよ。「けっ」って放置すると「いついくから」と連絡がくる。何?会話ができない。もしかして超絶アホなの?と思ったけど、そういう個性だったんだ、今思うと。こちらが寄ると離れる、で離れると寄ってくる。私も似たようなものを持っているので、距離を詰められると言葉で境界線をつくってしまう。「好きじゃない」って言ってしまうんだ。それは好きなんだけど、距離が詰められると、後ろに下がってしまう。自分からは責任のあるようなことは言わない。だから、ナレソメで言うところの覚悟女子にはなれない気質は回避型なんではないかな。幸せがコワイから、逃げる。幸せになると壊れることを想像して、絶望して、音信不通になる。訳がわからない。常にメンタルは満たされない、不安。相手のことを信じられない。だけど、独占欲はあるそんな自分は嫌だから、独占欲が出てくるとしんどくて別れてしまう。そんなことを繰り返しているから、いつまでたっても成熟した関係なんて構築できない。友人、知人、職場の人にはそういった姿は見せない。コアな関係を築いた相手のみである。だから、職場の人からは評価が悪くなかったりする。
3歳年下の君は、一緒に公園を歩いていて別れ際さよならの代わりに「今日は、犬を撫でられたから来てよかった」と言って帰っていったことがあった。そのスポーツカーに乗り込んで去っていく姿を見たときに、私は犬に負けたのか、と思った。もう、こいつの前から消えてやろうかと思った。アパートに帰り、風呂に入り、メールアドレス変えて、携帯着信拒否して、って消えるシュミレーションしていた。深夜にヤツからメールが来て「今日は、楽しかった・・・」と本当に可愛い内容のメールが来て、まだ、頑張ろうって思って続いたのだけどね。
おそらく不安型も少ない回避型じゃないかなと推測している。素人の分析なんで、申し訳ないが。相手が何者かがわかると付き合いかたも楽になる。自分も何者なのか、わかると楽になる。回避型ぽい人は、猫だと思えば、腹もたたない。寄ってきたら「いい子だね」って思えばいい、寄ってこなかったら放置するまで。私の回避ぽい人の付き合い方である。ただ、正しいのか不明。