中川の仏壇 私とバタイユ(野良猫)の構築する世界が道場という名の二人をつなぐ接結点なんだ - 中川の仏壇
ブログ モダンミニ仏壇

2025.9.11

私とバタイユ(野良猫)の構築する世界が道場という名の二人をつなぐ接結点なんだ

加藤諦三先生は、1938年生まれ。早いとこ私も相談して電話口で号泣したい。そして、私の情緒に寄り添ってもらいたい。多分、私は諭される。「あなたずっと自分の人生から逃げてきましたね」って言われる。そう、ずっと逃げてきた。幸せからも逃げ、試練からも逃げてきた。流転した先が、仏壇やの景色だった。毎日、ガラス張りの窓の向こうを眺めながら、これがもしかして、マトリックスの赤いカプセルの飲んだ先の未来だったら現実として受け入れられない。頼むから青いカプセルの世界であってくれ、そしたら、私もモーフィアスを裏切ったサイファーの気持ちがわからんでもない。救世主にもなれない、トリニティにも愛されない。現実世界で生きている意味なんて見出せるわけがなかろう。あまりに現実世界は、空虚で過酷でボロをまとった世界。それならば仮想空間で、思う自分になりたいって思うのではないかな。不倫も仮想空間と似ている。私は不倫の経験ないのだが、想像の世界で考える不倫は、本来ならば交際できない地位の異性と交際に至ることができる。それは、恍惚感でありトロフィーであり、非日常であろう。お互いに生活する部分を削ぎ落し、美しい逢瀬になる。青いカプセルの世界線。亭主の緩んだパンツ、ダルダルのスウェット、これは赤の世界線、赤の世界線の先に私は、コードを書き換えれる側になる。それは、自分が思う世界を自分で想像すればいい。仏壇やのいつも座る場所から見える窓の景色も自分の思いでコードを書きかえられるってことなんだ。

道場で例えてみようかな。

私=ネオ  バタイユ(徘徊猫)=トリニティ

私(ネオ):道場に生き続ける理由は「武道」じゃなく「バタイユ」に会うため。

その選択がバタイユとの世界線を維持している。つまり「システムを動かしている根っこ」が私の選択。私が力を発揮し覚醒できるのは、バタイユが「あなたを信じる。あなたの黒帯姿が見たい」と言ったとき。バタイユもまた、私が来るときに安心して居場所を感じている。

私が「道場」という世界線を維持するのは、バタイユが存在すること、そして、私を信じ続けることで構築されている。どれがかけても、「道場」という世界線は、構築しえない。私は、コードを書き換えすべて消去するつもりだ。だって私は、ネオなんだから。

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