中川の仏壇 愚息と武道と月光。 - 中川の仏壇
ブログ モダンミニ仏壇

2025.9.14

愚息と武道と月光。

愚息を武道に入れたのは、小学一年生の頃だったかな。おりしもコロナの真っ最中だった。

近所の公文に通っていたので、いつも中つ国みたいな建物の武道の道場の存在は知っていた。

ある日、同級生に追いかけられて叩かれるということが起こり、このままではダメだと思い

公文の帰りに武道を習わせるということを思いついた。

おそるおそる、道場の2階に入っていくと、私が日々お世話になっている師匠が椅子に座ってひとりで

いらっしゃった。事情を話し、入門のことを伝えた。ついでに初見にもかかわらず、厚かましくも疑問だったことをきいた。「あの暴漢に襲われたら対処できるようになりますか、武道習えば」と期待90%で、寡黙な椎名桔平似(ご本人の談)の師匠は、しばらく考えて「逃げてください」とつぶやいた。口頭とはいえ、入門申込みをしたあとであったので、しまった、入れなければよかったと刹那思った。「えっ逃げるのですか?」「はい、逃げてください。戦わないください」と言われた。90%の期待は、絶望に変わった瞬間であった。しかし、ま、いいかと武道に入ることになった。

私は30代後半で母となった。相方は、40代後半で父となった。ほぼ、ジジイであった。私は、ババアであった。愚息は、ジジイ、ババアと呼んでいる。時折、パパとかママとか呼ぶのだが、「やめろ、ババア」と呼べと言っている。相方は、子供兼孫であり、ほぼ怒らない。仕方なく私は、父親役も担っている。愚息が嘘をついた瞬間を見逃さない。それで、ちゃんと対峙しないと、「おい、表へ出ろ」と言って、玄関から裸足で取っ組み合いながら、庭に引きずりだし、「どういうことだよ、さっきのは」と2人でもみ合いながらガチなケンカをしていた。庭の芝生の上で月光に照らされ愚息の顔は悔し涙と鼻水で光っている。もみあい、愚息も私に掴みかかってくる、「ああああなんだ」と叫びながら、ケンカする。そして、愚息が正直に話すまでやる。過去何度やりあったことか・・・。しかし、武道を習ってからというもの、ファイティングポーズが腰を落とし、本気のやつなんだよ下半身が無駄に安定しているんだ武道習って色帯取得者だから。これはあかんな、と思っていた。足のサイズも25㎝になり、身長もちんちくりんな相方を追い越す勢いである。そのうち、私も追い越されるのかなと戦々恐々としている。6年生になった今は、武道熱も下がり、マイクラモッドとエレキギターにどはまりしている。「表にでろっ」と言われるような嘘もつかなくなり、取っ組み合いのけんかもしなくなった。大人になったといえば、そうだが、寂しいものである。

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