今朝はグループLINEがせわしく通知が動いている。歴史研究相の仲間が、今日から旅行に出かけている。私は、一回も参加できていない。仕事がら休みがとりにくく、行けない。
歴史研究会の面々は、毎月1回高崎で勉強会を開いている。私も去年の11月までは参加していた。しかし、12月から全く動きがとれず、参加できなくなった。勉強会終了後に皆で飲み会をやるのだが、私は、この飲み会も参加していない。愚息が18歳になったら、参加しようと思っていた。歴史研究会のメンバーのなかで人生相談の電話でご活躍されたOさん(ネット検索で活動の内容とお顔が出ております)がいた。しかし、Oさんは、昨年急逝されてしまった。いつか、Oさんとゆっくり話したい。そう強く願っていた。生前Oさんに以前気になっていたことを相談したことがあった。某市内の公園にホームレスの方がおり、どうにかできないものか、という内容であった。内容は詳らかにしないが、早々簡単な話しではないことは理解した。私も、院の修論で、自治体にヒアリング調査に行き、孤立死の問題にかすっている。光と影は、ちょっとは感覚的にほんの僅かだが理解できる。本当に残念だ。ゆっくり人生について、世の中の理不尽について、お聞きしてみたかった。一期一会とはよくいったものだと思う。いつか、この人とゆっくり飲みたい、って思っていても、その瞬間が永遠に来なくなってしまうのだ。心底残念に思っている。人にあまり依存しないようにしているが、このOさんには、いつか、いつか、ゆっくりお話しを伺ってみたいと思っていた。強くて、それでいて優しくて、自分と他人の境界線を図太い線で引いている人だった。私には、それができない。自分軸と他人と自分の境界線がより解像度の高い線が引けないと、他人の人生に寄り添えない。飲み込まれてしまう。自分軸で生きる、他人と自分の境界線をはっきりとひく。自分を疲弊させない。自分の幸せは何かと考える。家族のために自分の人生を自分の心を犠牲にしない。自分を大切にするうえでの家族の幸せを考える。できそうでできない。
Oさんが急逝されたのは、歴史研究会に参加しようとして、会場の到着してから具合が悪くなった。そして救急搬送された。それも一番可愛がっている一番弟子がずっと付き添った。たぶんOさんは、幸せだったであろう。
だから、話したい人がいる、一緒に飲んでみたい人がいる。なんでもいいけど、いつかじゃなく、すぐにでも行動した方がいいと強く思う。その瞬間が永遠に来なくなるなんて考えたことなかった。