中川の仏壇 大人になって穢れてしまった自分には、もう、できない遊び。 - 中川の仏壇
ブログ モダンミニ仏壇

2025.10.6

大人になって穢れてしまった自分には、もう、できない遊び。

自宅の近所の神社が蜘蛛の巣だらけで、埃といろいろ、汚れていた。この神社、私の実家の先祖が

神主をやっていた神社の分社であった。なんだか悲しいな・・・と思い、年末になると高帚をもって

掃除に行っていた。何年かかけて掃除をし、毎月、1日、15日は参拝をし、お賽銭を月に2000円納めた。ある時期から、神主さんが動いてくれたのか、お掃除が入り、階段も整備され綺麗になってきた。嬉しい限り。今も、参拝を続けている。

千葉県にある、東京の鎮守といわれている神社がある。数年に一度参拝行っている。広大な敷地をもっている神社だが、ゴミが森のなかに紛れこんでいた。これは問題であり、日本の首都をまもる意味でも、このゴミの撤去は、大事という意見をSNSで唱える方がおり、皆で神社に寄付をしようという動きに繋がった。私も数万円だけ寄付をしに神社に行った。いつのまにか、境内に真新しい白木の寄付一覧板が出来ており、SNSの働きかけをうけてのこととおもうが、多くの方が参加していた。多い人は数百万円であった。そして、とうとう、ゴミの撤去が実現した。

神社は、森が命。森を切り開き、分譲地になっていたりするのをみると、悲しいなとは思う。仕方ないのかな。私が住んでいる家の土地もおそらく、神社の敷地であると思う。本来は人が住んではいけない土地。なぜ、自分がそこにいるのか、考えさせられる。

神様からしたら人間の一生なんて8秒なんだそう。死ぬと永遠の時の区切りのない空間に入る、そこで生きていた生き様と心の有り様で閉じ込められる。だから、この8秒は、テストの時間なんだそうな。この8秒を振り切って生き抜きたい。子供が自分の体力を勘定にいれずに遊び続けて、ある瞬間力つきてパタッって床に寝るじゃない、あんな感じで生きられたらいいなとは思う。

子供のころの神社の裏のご神体の山に登っては、走って降りてくる生死ぎりぎりの遊びをしていた時分の恍惚感は、神がかかり的であったよ。子供だから許してもらえたと思っている。今は、極力ご神体には登らない、入らない。もう、私は穢れてしまっているから。

不敬になる。

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