中川の仏壇 愛を知らない友人。本人は愛を知っていると思っているけど、それは、執着と依存なんだと思う。 - 中川の仏壇
ブログ モダンミニ仏壇

2025.10.4

愛を知らない友人。本人は愛を知っていると思っているけど、それは、執着と依存なんだと思う。

ナレソメ予備校の宇波氏が「子供は、学歴よりも自己肯定感が大事」と言ったのは、本当にそう,

頭がよくても生きにくい人沢山おる。学歴がなくても、生き生きと生きている人もおる。

私も、親から無償の愛をもらったことがない。だから、人に愛を与える術がわからない。ただただ、条件で相手を縛っている。

私と似た友人がいる。

過干渉、教育熱心、兄弟間比較のなかで成長した。その友人も差し出す愛を知らない。相手に執着する、依存する、縛る、条件付きで愛を提示する。そして、大切な人に素直になれないから、去られてしまう。本人は、気づいていない自分の回避の性、だから、「人は裏切るもの、去るもの、」と学習している。そして、独白する「結婚向きじゃない」って。自分を傷つけないように「結婚に向いてない」って言い訳している。友人を大切にしてくれる交際相手はたくさんいたと思う、だけど、受け取る側がその器を持っていないんだ。だから、掌の隙間から、愛情がモロモロとこぼれ落ちていく。それを「仕方がない」ってただ、零れ落ちくゆく愛情の雫を悲しい顔をして眺めているんだ。勇気をだして、天に向けた掌をキュッと隙間を閉ざして、深く手を握りこめば、受け止められる愛情もあるんだけど、頑固で、意固地で、親から制御され続けた人生に自分を守るために、相手の思いすらも既読スルーで回避してまう。去られる。世の中のあらゆることが怖くて、慎重に生きている。見た目は、強い自分を演出している。本当は優しくて、真面目なのに、やさぐれ感という鎧をきている。この友人の髪をなで、「もう大丈夫だよ」って抱きしめたくなる。それは、私の幼少期の悲しみのシャドーを友人に合わせ鏡で見ているから。友人のシャドーをみつめて、自分も癒されているから。この友人がどんなに悪態をついても、悲しみが言わせているのがわかるから、離れられない。共依存状態になっている。

私が、友人の悲しみに寄り添っても本人が自覚しなければ、私も、依存、執着という底なしの沼に引きずり込まれる。時折、境界線をひきなおして、私軸、友人軸を再構築しながら、ながく続かっていきたいと思っている。いつか、自分の心の底にある、悲しみに気づいて、本当に愛をくれる人と出会って、尖った見目から卒業してほしい。

子どもがいるならば、そのままでいいんだよ、十分君は生きているだけで大切な存在なんだよ、って伝えてほしい。

抱きしめる。情緒に寄り添う、「痛かったね、コワかったね、辛かったね、大丈夫だよ」眠るときは、抱きしめてトントンしてやる。頭を撫でてあげる。額に手を置いてあげると、ストレスが緩和されてスッっと眠りにつくからやって。

私は、友人の虚無に寄り添いたい。私も満たされていない育ちなので、メンがヘラうので、制御しながら生きている。安定型の人は、この友人に接すると「なんだこの人」ってすぐに離れていく。自分を大切にできるのが安定型だから。

私は、寄り添うつもり。

自分を知ろうとしてほしい「本読みますか?」ってきくと自分が本だから大丈夫って言うんだ。

更新してほしいが、かわらない良さもある。だけど、

今だに、ベルリンの壁があると思っているかもしれない。

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