どうせ付き合うならば、魚をくれる人じゃなくて、魚の釣り方を教えてくれる人がいいよ。
20代前半で交際していた人は、なんでもやってくれる人だった。冬になると東京から冬タイヤを交換するためだけに前橋に来てくれた。そして、春になると、また、夏タイヤに交換するために来てくれた。数年交際して、結婚という話しになってきていたが、結婚はできないと思った。別れなきゃいけないと思っていたが、タイヤの交換をしてくれる、どこかに連れていってくれる、蕎麦はまずいと思っていた私に、美味しい蕎麦を教えてくれた人だった。そして、映画の楽しさ、食からカルチャーまで、私を変えた人だった。そんな人と今生二度と会わないなんて、辛すぎてできないと思った。しかし、別れないとダメだとも思った。タイヤの交換はどうするの?東京のおいしい蕎麦屋は誰がつれていってくれるの?そう思うと別れられない。ある年、冬タイヤの交換に来てくれるというので、「タイヤ交換自分でもできるようになりたいから教えて」と頼んだ。相手は、私の意図に気づいたのかどうか不明だが、「いいよ」と快く引き受けてくれた。底冷えする12月初旬の竹やぶがザワザワと音を立てているなか、ダウンを着て実家の庭先で、ジャッキアップの仕方から、ネジの取り付け方、力加減、おかげで、自分でできるようになった。そして、私は、春になる前に別れを告げた。
「ごめん、結婚できない」
「どうして」
「・・・・」
「俺の4年返して」
「・・・・・。」
それから、もう、会うこともないと思っていた。私は、交際相手ができ、日々を別の人との記憶を紡ぎ出していたころ、「こんど東京から岡山へ転勤になりました」とメールがきた。「友人としてならば、岡山へ行きたいです」と返信すると「友人として待ってます」と短い返信が来た。交際相手に「友達に会いに行く」と伝え、夜行バスの発車場まで送ってもらう。暗がりのバスの車窓から手を振る相手も笑顔で手を振る。一晩バスで眠ると京都駅に朝ついた。そこへ、岡山から迎えにきてくれた元交際相手の友達がいた。東京時代は、車を所有していなかったが、ちゃんと地方都市らいし生活に変わっていた。お互いの近況報告をし、なぜ結婚できないと思ったか、ちゃんと答えた。これですべて完結できた。友人として、今も年賀状のやりとりをしている。その隣には、友人の名前と知らない女性の名前が書かれている。今年も一緒なんだって思いながら、しげしげと眺めどんな人なのか空想している。その人もきっと、美味しい蕎麦と映画の楽しさを知っているであろう。そして、友人の魅力に深く沼っている。
私がそうであったように。