父である怜一朗と母である桔梗子は、私が24歳で独り暮らしをはじめるタイミングで
離婚をした。そのタイミングで無駄に大きな生家も処分した。
家族の解散である。私は、父の携帯番号を消し、私の携帯番号も変えた。
母は、離婚する直前に、母の貯金で父方の墓の大修繕をした。
これには母の計画があった。
母は、離婚すると母の実家にもどりひとり暮らしとなった。
父は、位牌で叩く、椅子を叩きつける、恐ろしい母から解放され、糸が切れた凧になった。
父よ、自由に楽しく生きてください。そして想い人と再婚し幸せになってください。と
心から願った。
しかし、母は、そうではなかった。
「お父さんが戻ってきても一緒になってあげない」
「お父さんがこの家に来ても入れてあげない」
などの夢を語っていた。
私は、「うん」と笑顔で頷くだけであった。「大丈夫、二度と戻ってこないから。」とは
言わなかった。
母は、その後ずっとひとりで暮らしていた。私の予測通り父とは会えずに
大病を患いひとりで生家で亡くなった。
生前、「私は、お父さんの家の墓に入りたい」と遺言を残した。
父方の厳格な親戚に許してもらうために母は、自分のお金でお墓の修繕をしたのだ。
父の兄弟、親戚筋、墓地管理者たちも認めざるをえなかった。
母は、父方の墓である白川家の墓に入った。父を墓で待ち伏せをしている状態である。
もし、父が、再婚していたら後妻さんも墓に入るのか?
という問題が残った。
丸いパイス椅子の残骸を思い出した。
私は、憂鬱になった。父の動向がわからない。
父の携帯番号を消さなければよかった…。
・・・。